軽井沢の歴史
現在の軽井沢



「緑と太陽とおいしい空気の軽井沢」、「さわやか軽井沢」をキャッチフレーズに、夏の軽井沢から、四季を通じての「保健休養地」として、環境設備、文化施設、スポーツ施設の整備充実そして観光行事等により誘客を図っています。
自然保護に努めている軽井沢は、面積の半分ほどが国立国定公園の中にあって、雄大な浅間山の容姿の変化のもと、春はコブシ、カラマツの柔らかな芽吹き、夏は木陰にさえずる小鳥の声、秋は金色に色どられる錦の山々、リスの愛らしい姿、冬は北欧を思わせる純白の雪に輝くモミの木立、樹氷など四季の移り変わりの美しさは、まさに軽井沢独特のイメージでしょう。
観光行事として,春「若葉まつり」、夏の「ショー祭」、「追分馬子唄道中」など、秋は「紅葉まつり」また昭和44年からは冬の「氷まつり」を全町あげて開催し、第30回を節目に名称を「軽井沢ウィンターフェスティバル」とし、町中がイルミネーションで彩られるホワイトクリスマスin軽井沢や長野オリンピックで正式種目となったカーリング大会を入れ、より充実したものになってきています。
軽井沢の自然を守り続けるために、昭和47年に「自然保護対策要綱」が制定され、自然保護対策や、ゴミ処理、水資源保護などの環境保全対策や、文化財保護対策の基準を示しております。一方、町の社会資本の充実の一環として堀辰雄文学記念館、図書館、資料館、追分宿郷土館、病院、中央公民館、老人福祉センター、社会体育館、風越公園グランド、植物園、公園施設、レクリエーションの森(キャンプ場など)、野鳥も森、自然歩道、サイクリング道路や道路網などの公共施設が設備充実し、「国際親善文化観光都市」の様相を発揮するようになりました。
また、テニスコートも千面以上に達し、テニス、サイクリングブームが現出し、若人のスポーツを楽しむ姿が目立つようになりました。完全週休二日制の普及に伴って、週末は軽井沢で静養する別荘客も年を追うごとに増えており、「上信越自動車道」の開通、平成9年10月1日に開業した「北陸新幹線」などの高速交通網が整備され、首都圏になったため、軽井沢町を居住地とする方々も増えつつあります。ホテル・旅館・民宿・ペンション等の宿泊施設も多様化する来訪者の要望に対処すべく、より一層の内容の充実に努めております。
また、平成10年2月長野冬季オリンピックのカーリング競技会が軽井沢で開催され成功裡に終了し、昭和39年の東京オリンピック総合馬術競技開催につづいて夏・冬2度のオリンピックを経験いたしました。交通の便利さと、豊かな自然が残る軽井沢は、より身近な保健休養地として今後ますます訪れる皆様が増えるものと思われます。保健休養地として来訪者の通年化が進む軽井沢ですが、夏の出張店は約400店舗にもなり、旧軽井沢はさながら大都会並の雰囲気を見せています。人口約1万7千人の町は夏の最盛期には、その十倍近くの町にふくれあがります。また、軽井沢は大正末期から著名な作家、詩人、画家など文化人も来軽も多いところから文学的色彩も濃く、それらの人々のゆかりの地で文学碑なども町内には広く点在し、文学散歩に訪れる観光客も多くなっております。
更に最近は軽井沢で結婚式を挙げたり、新婚旅行や自然に親しもうとする人々や、修学旅行等も目立って盛んになってきました。「軽井沢町民憲章」を町是として「国際親善文化観光都市」の住民にふさわしく、緑豊かな自然を愛し、世界に誇る清らかな環境と風俗を守り続け、来訪する方々を心あたたかくむかえています。


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